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おばさんの井戸端ジェンダー       おふくろ料理と母力(ははぢから)

イラストby白六郎 いつもの秋の帰省をしてきました。
90才の母は、わたしのために煮しめや庭の畑で作ったカブ菜の漬物などを作って待っていました。

食べなさい、これ
語尾が命令形なのは母の口癖で、言い方は少しもきつくはないのに、わたしは引っかかり「いちいち命令しないで!」と、ちょっと前なら怒ったものです。

母が米寿を過ぎた頃から、わたしはぐっとこらえるようになり、少し間をおき、ややむっとした顔で食べます。(おとなげないね)

煮しめと漬物はちょっとしょっぱかったけれど、わたしや夫が作ったものやスーパーのお惣菜より数段おいしく、ゲンキンなわたしは「うまいよ、これ」と言いながらパクパク食べました。母もわたしが帰るのを待っていたので、遅い朝食を一緒に食べました。
「どうしてこんなに美味しく作れるの?」とわたし。
「イカの煮汁で煮ただけだけれど、汁がなくなるまでことこと煮たのだよ」
  ああ、そうか。やっぱり手がかかっているのだわ。母は腰が曲がり、働き盛りの農作業中に膝を痛めているので、今は床に手をつきながら歩くのがやっというくらいなのに、庭の畑でキューリ・トマト・サツマイモ・大根・ジャガイモ・生姜・サトイモなどと季節の野菜を少しずつ作っています。それが生きがいにもなっているのです。そして、わたしや妹・姉が帰るたびに必ず野菜の煮しめなどを作って待っています。

赤飯も恒例です。自分で育てた小豆をことこと煮てほんわか炊き上げます。
10年くらい前、母がもっと元気だった頃は、わたしが帰る度、「もちっこ」という餅つき器で餅もついてくれました。季節に関係なくです。夏だけはつきませんでしたけどね。

戦時中は父が出征していたので、母は広い田畑を1人で切り盛りしていました。小さな姉と兄も抱えていて大変でした。そして、母は2才だった兄を疫痢でなくしています。今の女性高齢者の方々は、大概似たような体験をしていますよね。

話はもどりますが、いっしょに食べていた母が何気なく言いました。「血圧が高くてね、こんなこと初めてだけど」
わたしはびっくりして通っている介護園で測ってもらったという血圧測定書を見せてもらいました。88〜150もあります。わたしは急に態度を変えて小うるさくなりました。
「こんなにしょっぱい煮しめや漬物を食べてはダメ。それに水分をもっと取らなくては」

母はしょんぼりしました。「昔モンだから、塩気がないとね」
同じ村で元気だったおばあさんが92才で脳溢血で倒れ、入院生活3年目なので、母も「水分を取らなくては」と身にしみてわかってはいるのです。けれど、母はお茶は嫌いだし、水も好きではないようです。
わたしは湯のみ茶碗に水をついで「はい、一杯」と差し出します。ずいぶん前、壁に「水分を取る」と大書して貼ってもあります。わたしは母に1日1リットルの水を飲んでもらうべくヤカマシイ娘になります。

おそかったブランチの後、母はちょっとだけ横になりました。
けれど、すぐもごもごと起き上がり手拭で頭を頬被りしました。庭の畑に出る格好です。よっこらよっこら、壁や戸につかまり玄関を出て行きました。

わたしが歯を磨いている間に、ヤツ頭のズイキ(芋茎)を抱えてもどってきました。
「お前のために1株残しておいたのだよ」わたしの好物です。母は、ズイキの皮をむくと爪が黒くなると独り言しながらも丁寧にむき、茹でました。ズイキの酢の物は美しいワイン色で食が進みます。

無花果の実も2つもいできました。
「今年、新しく植えたので、これ食べてみなさい」「後で食べる」とわたし。母は愚痴りました。「お前は何にも食べない、上品過ぎる」
わたしはとうとう怒りました。「歯を20分も磨かなくてはならないタチだから、夕食の時に食べるのだよ。もう何十年もそうでしょうが」
「ああ、そうだったね」母は悲しそうに言います。わたしは大人気なく親を叱りつけたことを後悔します。それで、急に庭のグミの木をほめました。「また新しく植えたの? 赤くて可愛い実をいっぱいつけてるね」母は機嫌を直して言いました。「柿の木の側のグミは、花が咲くと小鳥が全部食べてしまうからね」

家には収穫したサツマイモ・ジャガイモ・カボチャなどがどっさりしまってあります。サツマイモは「年内に食べないと、ダメになる」というので、わたしは大きなダンボールいっぱいに詰め、ついでに柿も詰め、我孫子に宅急便で送りました。サツマイモはそんなに好きではないのですが、腐るともったいないのでご近所におすそ分けしようと思ってです。

3日目、我孫子にもどろうとすると母は言いました。「漬け菜を持っていきなさい」わたしは「しょっぱいからいらない」と断ったものの、10分後に「やはりもらっていく」と言い直しました。その時の母の嬉しそうな顔!

それから外に出た母が手にしてきた物は、一握りの薄桃色の菊の花でした。「これ、うまいから持っていきなさい」「ありがとう」こんどは初めから素直にもらいました。

わたしは、法事でもらってきた昔ながらの落雁と饅頭、畑から採ったばかりの葉つき生姜、ウーロン茶、使いやすいようにと札と硬貨が混じった小遣いなどまでもらい、ずっしり重くなったリュックを背負ってバス停に向かいました。

母がもっと元気な頃は、わたしは母がくれようとしたものを、「いらない!」と頑固に断わってきました。また、母の指図するような物言いにわたしが反発して親子ゲンかになり、母に「勘当だ!」と言われたり、わたしはわたしで腹が立つと「もう家に帰ってこないからね!」と母をオドカシタリしたものです。(バカですね)

わたしは長い間、うるさいまでの母の愛情が鬱陶しくてたまりませんでした。
けれど最近になって、母の気持ちには素直に感謝しなくてはと思うようになりました。いい年のわたしでも、母にとってはいつまでも子どもであるに違いありません。

我孫子にもどり母から遠く離れてやっと、わたしにわが母の子を思う並々ならぬ『母力』に、「まいりました」というほど感謝の念がふつふつと湧いてくるのです。  (つ)


番外編 『母ネコ物語』

写真:ねこ すっかり涼しくなった朝、ズキンと呼んでいる野良猫が縁側に作ってある猫小屋にぴょんと入りました。ズキンがそこに入るのは初めてなので、(あれ?)と思いながらのぞき込みました。そしたらなんと、その中に、ズキンとそっくりな模様の子ネコが1匹いっしょにこちらを見ていました。最悪!の事態です。

子ネコは丸い顔で鼻の穴のまわりが黒く子ブタみたいで、顔は器量良しの母ネコには似ていません。わたしを見てせいいっぱいフーフーと声を立てずに威嚇します。

次の日は、子ネコの姿はなくズキンだけでほっとしましたが、3日目はまた連れてきて、その後ずっといます。
おっぱいを子ネコにやっている母ネコの姿を見てしまうと、もうどうにもなりませんね。わが家のネコたちもいくら叱ってもズキンを追いかけていたのに、子ネコを見てからは人(ネコ)が変わったように遠慮し、母子をよけ、まわり道して家に入っています。

ズキンの表情もわがままな娘時代(去年の夏初めて現われた時には好き嫌いが激しい上に騒々しくて迷惑しました)とは違って、いつも子ズキンの姿を追う優しく心配げで憂いのある顔になりました。子ズキンが恐がってフーフー威嚇したりちょっと遠くへ行ったりすると、グルルルと喉を鳴らしなんとも優しい声でなだめます。

子ズキンはすごく用心深いです。きっとこわい思いをしているのでしょう。猫はふつう4〜5匹産むので、ほかの子猫はたぶんどうにかなって、子ズキンはやっと生き残った1匹なのだと思います。

子ズキンが母ズキンの尻尾に後足で立ち上がりよちよちバランスを取りながらじゃれるさまは、ほんとうに可愛くてほのぼのします。子ズキンは寝転がって母親の頭にもじゃれるのが好きです。ズキンは辛抱強く相手をしながら子ネコをなめてやっているうちに、おっぱい時間になったりします。

ズキンはスズメまで捕ってきました。一滴の血もついていません。それをまず自分で捕まえ方をやってみせました。子ネコはまねをします。
子ネコは地面の上で十分遊びました。夕方には、こんど縁側の上のおこもりに運んでまた母親が遊び方をやってみせ、子ズキンがまねをしました。スズメにはきのどくだったけれど、子ズキンにとってはいい学習になったと思います。

それにしても、ズキンの母力(ははぢから)はすごいと思いました。あんなにけたたましくてわがままだったズキンがこうもいい母親に変身するとはおどろきです。夫は「うちはネコ缶ビンボーだ」と嘆きつつ、近くのスーパーにはズキンの食べるネコ缶がないので、隣りの県の大型店まで買いに走ってます。  (つ)

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